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「なぜ車」なのかを考える

環境に配慮するためにドライバーが出来る有力なことがあります。それは「車に乗らない」ということです。これは極論です。もし将来、自然環境に対してのリスク行為が定められ、減点式で何らかのペナルティが科せられるとしたら、車の運転は完全に減点されるようになります。車を運転しない人に比べて明らかに環境貢献度が低いのです。

車の運転が完全に許可制のなってしまったら、あなたはどうするでしょうか。もっとも深刻なのは交通機関の利便性があまり良くない「地方」でしょう。都市部は実は影響があまりないかもしれません。

なぜこんなことを想定するかというと、そうなってしまう可能性も「ゼロではない」からです。そうならないように、技術開発は進んでいます。ですが、未だ完成したわけではありません。電気自動車のためのインフラが整備されたとしても、肝心な電気を作る仕組みが化石燃料から脱却していません。電気自動車に完全移行したとしても、エネルギー不足は解決していないのかもしれないのです。

「なぜ車が必要か」と問われた際に、「生活するために絶対必要だ」というのであれば、そのようなドライバーはこの問題と無関係ではないのです。「車がなければ生きてはいけない」ということであれば、「どうやって車が動いているのか」、「エネルギー供給は潤沢にあるのか」ということは自身にとっても重要な問題です。「当事者」でなければいけません。

エネルギーは無限大ではないうえに、現在の化石燃料を使用し続けると環境への悪影響は確実です。エネルギーが枯渇するかもしれない、さらに地球環境にダメージを与え続けているということを加味すると、これまでの発展を支えてきた「化石燃料」の時代は終わらせるべきなのかもしれません。その「実感」は、他でもなくドライバー本人が持つべきものです。

自動車と環境、そして社会に対してよりよい形はいったい何なのか、それは誰も知らないことですから、待っていても与えてもらえるものではないのです。その「理想」を形作るのはドライバー一人ひとりですし、ドライバーを含んだ「社会」です。ですから、「なぜ車が必要なのか」と問われて「本当に必要だ」と答えられる方は決してこの問題を傍観してはいけません。だからといって何ができるわけでもないのですが、現在では少なくとも環境に対するダメージを軽減したハイブリッドカーがあり、「社会」もその利用を促進しています。

環境に対して優しい車は社会的に優遇されるという枠組みになっていることは、将来を見据えた「社会の選択」です。乗り換えを強要でるものではないですが、「促進」することはできます。その流れを、その気配を感じとれるかどうかということです。

「なぜ車」をなのか。生活のため、仕事のためです。そして自動車という交通手段、運搬手段を失えば、今の社会は破綻します。車に頼らなくてもいい社会を作るのか、それとも車を利用し続けることができる社会にするのか、その選択は私たちが行うものです。「社会」をつくりあげているのは私たちだからです。そして、その中心には本当に自動車が必要なドライバーがいます。

燃料の枯渇問題、そして環境問題は、ドライバーであれば誰もが目を背けてはいけない「現実」です。

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