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「エンジン音」が好きという無駄な好み

唸るエンジン、まるで獣の咆哮のように周囲を威嚇する、力強い響き・・・・。それが好きでたまらないという人がいます。車でも、バイクでも、同じように感じ、少し機械に詳しければマフラーなどをいじり、わざと大きな音が出るようにしているのです。

はたして、必要でしょうか。

「人の好みだ」と言い切ってしまえばそれまでです。ですが、その「好み」で迷惑を被る人がいる場合、「好みだ」では済まないのではないでしょうか。「音」はその典型です。マフラーを改造し、明らかに大きなエンジン音は人を不快にさせることが多いものです。

タバコも「人の好み」です。好きだからこそ「人に迷惑をかけないようにする」のではないでしょうか。好きだからこそ、誰からも非難されることなく、自分の好みを追求したいのではないでしょうか。「わからない人はわからなくてもいい。だけど邪魔されたくない」というのは、ただの「エゴ」です。そのけたたましいエンジン音を理解できる人の方が少ない、そして、度が過ぎる騒音は法律や条例によって禁止されているということを知っておかねばいけません。

自分が好きだからという理由で、それを周囲に強要してはいけないのです。「ただ通りすぎるだけだから」ということでも、行く先々でただ「迷惑な人だ」と思われているだけです。「カッコいい」とは誰も感じていません。そこに何の「満足」があるのか、誰も理解できないのです。ただ「哀れな人」と捉えているでしょう。

そのようなエンジン音への好みは、「若気の至り」であることも多いです。成長したのち、「なんでそんな好みがあったのか・・・」とわからなくなったりもします。逆に、年齢的には成長しているものの、そのような「無駄な好み」を持ち続けていると「みっともない」という評価を受けてしまいます。それでも本人が満足であればいい、という考え方もありますが、「誰かに迷惑がかかっている場合」はよくありません。

改めて考えてみましょう。サーキットでレースをするわけでもないのに、「エンジン音」に執着する理由をです。「なぜエンジン音がかっこいいと感じてしまったのか」ということです。「憧れ」ではないでしょうか。普通であればまったく手の届かないスポーツカーに憧れて、「音だけでも似せたい」という気持ちがあるのではなかったでしょうか。それはある意味「少年的な自動車への憧れ」ではなかったでしょうか。それを周囲の人や関わる人に理解してもらい、「うるさくてもそういう理由だから許してね」ということは「エゴ」です。要するに「子どものわがまま」です。

この話で少しでも胸が痛くなった方にお聞きしたいのは、「そうまでしてエンジン音にこだわる理由はあるのか」ということです。意味があるのかということです。

「もはや意味なんてない」とお思いの方は、妙なこだわりから解放されたということです。それでよかったのです。その無駄なこだわりを「ドライバーとしての環境への責任感」に転換してみてください。ハイブリッドカーが、今までのイメージとはまったく違うものに感じられるはずです。

小さなこだわりひとつで、大切なことを見落としてしまうのは実にもったいないことだとわかるのではなでしょうか。

「エンジン音」、はたして本当に必要でしょうか。

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