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環境に対する配慮は最先端

「環境」とは、私たちが暮らしていく上で絶対に度外視できないことです。どのような人口物も等しく自然の中に私たち人間が組み込む形で作り出したのです。自分たちが暮らしやすいように地面をコンクリートで固め、化石燃料を燃焼させて動力としています。その結果排出される廃棄物や排気ガスは同じ自然の中で管理しなければいけないものになりました。「モノ」として扱える廃棄物の数々は、その処理をどこで行うかが議論されています。自身の暮らしを豊かにするために生み出したさまざまな便利な技術、便利な設備、施設の代償として、抱えきれないほどの廃棄物と付き合う必要があるのです。

それらの廃棄物の中で、唯一「モノ」として扱わなくても済むようなものがありました。それが廃棄ガスでした。自然の中に放出すれば、いつかは希釈され、もとの自然な大気に戻るだろうということでした。これは主に化石燃料を燃焼させると生じる廃棄ガスでした。なかには化学合成の結果として発生しているものもあります。「ガス」ですから、空気に混ざることができる。高い煙突から排出すれば地上にはなんの影響もないまま、「処理」できる。そんな誤解が共通認識としてあったのです。

「光化学スモッグ」というのは高度経済成長期から知られはじめた言葉です。大気中に放出した廃棄ガスが姿を変え、あるいはそのままの姿で、私たちの生活に悪影響を及ぼしてしまうことの象徴です。ですが、私たちはこれを「仕方がない」と捉えてきた風潮があります。

「便利になるためだから」という理由です。自然には確実に治癒能力があると考えられています。木々は光合成によって二酸化炭素を酸素に変換します。そのような自然のサイクルで、人間がつくりだした廃棄物、廃棄ガスもいつかは浄化されるのではないか、と考えられています。ですが、技術の発達はますます加速します。一部の国々が行なっていた大規模な工業は、発展途上国にも伝播し、一時期に日本が経験した高度成長期がさまざまな国で発生するようになりました。

自然に対する廃棄ガス、特に音質効果ガスの許容量はあるのか、どれくらいであれば浄化されるのか、ということは実はわかっていません。そのような中、「ただ悪影響があり、状況が悪化している」ということだけはわかっているのです。「なるべく減らしていくべきだ」という考えが、技術やそれに支えられる工業を変えようとしています。

いったん自然環境が破壊されてからでは遅いわけです。自然に元に戻るのかどうか、戻るのだとしたらどれくらいの時間がかかるのかは、誰も知らないからです。車は工業の象徴のようなものです。一台一台が内燃機関を持ち、一台一台が排気ガスを放出します。走行する車がすべて、ドライバーがすべて、環境に何らかの影響を与えているのです。

これらのことを自覚するだけで、「一歩進んだ」視点を持つことができるようになります。明らかに悪影響があり、リカバリーできないかもしれないとなれば、早急に新しい技術、手段が求められるのは当然だと、そう考えられるようになることが、第一歩なのです。

ドライバーである以上、自身も排気ガスを出すのです。その事実をどう捉え、何を考えるのかということです。

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